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2020.10.01
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今日は中秋の名月ですね。
過ごしやすくて、本当に気持ちが良いです。
コロナ禍となり、大変な時期でもありますが、今の状況やこれからの事を少し考えてみました。
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■時代・社会背景
コロナ前の象徴的なことをここに上げてみます。
・中国の台頭とグローバル経済
・地球温暖化による気温上昇や大型台風などの環境問題
・人口減少社会(地方創生)
・一極集中の過密状態を続けている東京と過疎化している地方
・金融の規制緩和や投機的な要因による地価(山手線内を中心とした)の異常な高騰
・大量消費される食と飽食、食品ロスも自然資源の低下に大きく影響を与えている
・水産資源も地球温暖化以外の要因として乱獲(特に産卵期)等により1984年の1,282万トンをピークに2016年には436万トンと1/3になり、2019年は更に減っています
(鰻やまぐろ、そしてサンマは食べることを減らそうという消費者への呼びかけもあります)
・東京でのオリンピック開催を合言葉にした過剰な公共工事
・都市への通勤(満員電車)
※順不同
東京だけでなく日本社会全体が、同じ状態を続けていました。
世界的にも同様にグローバル型の資本主義が続き、環境問題をはじめとする様々な社会問題が起きていました。
この状況をコロナは、一気に変えてくれました。
まるで抑制の利かなくなった人間社会を見かねるように、コロナウィルスによるパンデミックが世界を駆け巡り、価値観自体を大きく変えるほど、社会にとってのパラダイムシフトとなり、人々のライフスタイルが急激に変わりました。
また人間の活動が抑制されたことで、自然界の動物の活動が活発になっている状況も起きたり、スモッグが晴れるなど環境の改善があったりと、このタイミングからSDGsの認知やエシカル志向、そして生活のミニマム化への意識がさらに進んできたように思えます。
環境に優しかったり、企業の理念に共感して購入するエシカル消費への関心は中長期の消費の主役となる若年層を中心に高まってもいます。
仕事に対する考えも変わり、テレワークやリモートワークにより満員電車や都心のオフィスは必要ではないことが分かり、生活圏が居住エリアのみで可能となりました。
家族がベースにあるという認識がコロナ前より一層大事なものとして捉えられ、家族の在り方や住宅の考え方も変わり、都心部より少し離れた生活のしやすい居住エリアで家を探す人が増えました。
賃貸住宅で暮らしていた人も近い居住エリアで、マンションではなく戸建を求める人も増えています。
■東京のローカル化
今回のコロナ禍は、消費社会での無理をした新商品を出し続けていたことでの飽和やコモディティ化、生産者・消費者、人々の疲弊が続いていた状態も、一気に状況を変えてくれました。
大手企業や大量消費モデルではなく、地域の個人店が大事にされていくこと、地産地消モデル、生産者から消費者へのECサイトによる直接販売等、流通の変化も一気に変わりました。
その恩恵が、一極集中から多極集中である地域創生という理想を、より具体的に現実として視野に入れることが出来ているのが、今の状況だと感じています。
ただ現状は、世界的に見ても日本はコロナ禍に対しての耐性も高く、実際に生活する人も都市部での不動産を探す人が非常に多く増えています。
一過性のものと市場関係者も見ており、以前から問題になっていた人口減少社会や過密過疎らの問題等、来年以降を見据えた政策や消費者意識の方向に期待するところです。
総務省 統計局の人口移動報告によると外国人を含む移動者数の集計を開始した2013年7月以降、今年の7月に、東京から地方へ転出する人の数が、はじめて転入者を上回りました。
その数は転入者28,735人(前年同月比-12.8%)、転出者31,257人(前年同月比-1.5%)の減少となり、転出超過数が2,522人となりました。
東京圏への転入を見送る人や最も転入者が多い3月ではないという事もあり、実情はまだ分かりませんが、統計以降はじめての転出超過です。
ただその転出超過という状況が、一気にではなくゆっくりでも多極集中的に東京から人が出続けていく状況が続くことで、過密であった東京の地価も下がり、細分化され続けてきた街並みが緑豊かなゆったりとした居住エリアを形成し直していく、人が暮らすに適した良質な建築に費用も掛けられるようにもなります。
混雑も減り、高かった東京圏の住宅費用も落ち着くことで、無理した仕事を続けることなく個人の時間が増える。
追われているように感じる緊張感や負担感が和らいで、ゆったりとした時間が流れるようになり、コロナ前に感じていた地方のゆっくりと流れるような時間の感覚を東京でも感じられるようになる。
東京のローカル化と多極集中的な地方創生は、持続可能な社会としてもバランスの良い社会で、みんなが安心して子供を産めたり、相互扶助の関係性もつくりやすくなるのではないかと思います。
細分化されている街並み(イメージ)
広くつながっていく街並み(イメージ)
東京や都市の工務店も地方工務店さんのように、のびやかで素敵な住宅をつくれるようになると良いなという希望もあり、東京の街もブロックフェンスのない、緑豊かな街の形成でゆるくつながっていくことで隣人同士がつながり、助け合う社会になると良いのですが...
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2020.03.21
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3月20日 春分の日
今年は気付いたら桜も咲いてるいるような感じですね。
新しく季節がはじまり、本来であれば今の時期、卒業式や入学式の門出の季節でもありました。
コロナの影響で落ち着かない日々が続き、残念な年になってしまいましたが、
ご卒業や新しい門出を迎えられた皆様「本当におめでとうございます」、新しい時代を担う皆さんのご活躍を心よりお祈り申し上げます。
Yohakuのある武蔵境にある桜並木も今年もきれいな桜が咲きました。
春になり桜やたくさんの花々も咲き、木々も新芽がほころび見ている自分の心もほどよくほころんできます。
今回のコロナの教訓でもありますが、今までの中央集権的な社会を疑い、社会の構造も見直す時期なんだなと認識しています。
社会にとって経済は必要なものでありますが、マネーゲームではない地域の経済圏がしっかりとあればこうした状況にも耐える力があるような気がします(助け合いや相互扶助がもともとベースにあります)。
ケースにもよりますが、どこでも仕事ができて通勤をしなくても良い環境づくりが出来るようになっているのも情報化社会の恩恵ですが、とにかく事態の収束が早く来ることを祈ります。
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2020.03.03
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写真は瀬戸大橋から見えた美しい夕陽が広がる瀬戸内海です。
四国の人たちはこんな素敵な景色を見ているんだと思うと、とても羨ましいです。
四国の香川県で行われた全国工務店総会の帰りに撮りました。
総会では、全国の工務店さんの取組を拝見したりお話をお聞きしたりと情報化社会の先にあるこれからの日本社会には東京に固執しないローカライゼーションを軸に考えていくことの重要さをあらためて感じました。
ローカライゼーションには地域の工務店はとても重要な存在となります。
そしてここでもエネルギー問題がテーマとしてとりあげられていました。
化石エネルギー(石炭・石油)
人工エネルギー(原発・水力・風力)
自然エネルギー(太陽・風・雨水・緑)
※ここで言う自然エネルギーとは、とても弱いエネルギーだけど「タダ」で手に入るものです。
そうした自然エネルギーは断熱・蓄熱と掛け合わせることで、持続可能な暮らしになっていく。
植えられている緑は一年を通して日射を遮ったり、日射をとりいれてくれたり、植物自体も蒸散を行い循環していく。
家の中に目を向けると浮力換気という自然に換気されていくことで、空気の循環が行われる。
人も自然の一部であるから、有機的なものとの暮らしの中で季節と共に文化的な暮らしができていく。
私自身の捉え方もハード面での断熱、蓄熱、自然エネルギー…の重要さをベースに、優しい木の雰囲気は美術的な思考で調和をはかる作業をしていますが、Function(機能),Confort(快適性),Anbience(雰囲気)を整えるというデンマークの建築の考え方を学び、論理的に整理できました。
日本と北欧の自然観や価値観は本当にとても良く似ています。
これからの人口減少社会でも数(消費ではなく質(上質感のある)を大切にすること、やっぱり家はローコストやハウスメーカーではなく真剣に家の事を考えてロングライフデザインを地でいく地域の工務店が建てるべきだなと新しい学びと共に心から思いました。
讃岐富士
そして
東京の夕陽もきれいです
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2020.02.17
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「丁寧な暮らしでなくても」丁寧な暮らしを広げてきた雑誌「暮らしの手帖」が、丁寧な暮らしではなくてもというタイトルを上げました。
巷に増えるきれいな美しい建築写真やおしゃれなお店の数々...
日々、目に入ってくる毎日が「ハレの日」のような写真...いいなと溜め息が出るものも多くありますが、生活感のないものも多く目につきます。
人が生活する上で、無理をした丁寧さやポジティブさは素の自分を閉ざしてしまいそうです。
良いことや悪いことも含めて「ケの日」の日常を大切にすることが「ハレの日」のありがたみを深く実感することにつながると思います。
「こうしなければいけない」とか「こうでなければいけない」とか観念的なものにもとらわれてしまうと、とても息苦しくなります。
多少はくだけていたり生活感が見えてあたたかいほうが、むしろ居心地がいいものです。
丁寧さとは自分自身に問いかけて、自分を大事にできているかのような気がします。
私もどちからというと赤ちょうちんや大衆的な居酒屋や定食屋によく行きますが、肩ひじ張らずに行けるので、東京での暮らしも別にかっこいいものではありませんが、とても豊かに楽しめます。
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向田邦子の「夜中の薔薇」というエッセイ集の中で「手袋をさがす」という一説にこんな四谷の裏通りでの描写があります。
「夕餉の匂いにまじって赤ちゃんのなき声、ラジオの音、そしてお風呂を落としたのでしょうか、妙に人恋しい湯垢の匂いがどぶから立ちのぼってきました。こういう暮らしのどこが、なにが不満なのだ。十人並みの容貌と才能なら、それにふさわしく、ほどほどのところにつとめ、相手をえらび、上を見る代りに下と前を見て歩き出せば、私にもきっとほどほどの幸せはくるに違いないと思いました。そうすることが、長女である私の結婚を待っている両親にも親孝行というものです。」
向田邦子「夜中の薔薇」より
東京で暮らす一人の女性の人生を、生活という日々の営みが情緒感あふれ表現されています。
人は何かを求めて生きているのですが、日常の精神的な営みによる豊かさの中で、成長をしていくのが、人間というものだと思います。
あたりまえですけれども...
私の感じる情緒感も帰り道の民家からのカレーの匂いとか子どもの笑い声とか、そんなありふれているようで優しくて...とても尊いものに感じる日常です。
お金もそんなに掛かりません 笑
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2020.01.20
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Localization「地域コミュニティ」
人類が歩んできた歴史は
・狩猟から農業中心の伝統的社会
・市場経済
・産業革命からの地球資源を利用してきた工業化社会
・グローバル化と共に進んできた情報化社会...
そしてこれからの時代に必要な
「高齢化に伴う福祉・医療」
「様々な領域での対人サービス」
「自然エネルギーへの環境関連分野の確立と拡大」
「まちづくりやコミュニティデザインとともにある相互扶助の社会への発展」
情報化社会の中、無理な移動や消費をせず、それぞれの地域コミュニティが重要になり、「ローカライゼーション」が進んでいく社会が、次世代への答えのように思います。
「物質社会」から「エネルギー社会」そして「情報化社会」と進んできた人類は地域と共に暮らし「精神的な豊かさ」をベースにし「生命・時間」を大切にしていくこと。
「生命・時間」とは「生活」や「人生」であり豊かさや幸福を求め充足的な時間を過ごすことに価値を見出して「時間の消費」を効率化・加速化からコミュニティや自然とのつながりという充足的な方向に求め、精神的な豊かさという目に見えない価値を大切にしていく。
「生命・時間」は「生活・人生」であり、つまり「Life」そのものであるということです。
ThinkTownが「Lifestyle」を提案する源泉にはいつもこの「Life」があります。
日本語的に表現すると一言で「あたたかい」というところでしょうか。
世間では「AI」や「シンギュラリティ」が注目されていますが、原初的な「Life」が情報化社会の先にある私たちの未来であることが私は望ましいと感じています。
SDGsやパリ協定によるCO2削減等の世界的な潮流の中、日本は人口減少時代に入り、より街の在り方や生活様式の在り方を見直していかなければならない時代となりました。
拡大と成長という過去の成功体験を捨て地域を大事にした持続可能な福祉社会への転換の時代です。
戦後アメリカの資本主義経済モデルの日本への流入、車社会の見直しや東京の都市集中による地方衰退ではなく活力ある地方分散型への転換により幸福度の向上を目指した持続可能な社会への移行。「少極集中から多極集中」への社会構造転換。
かつて日本が進んできた成長社会から個人の尊重や個人が自由に創造性を発揮する環境が成熟社会へとつながり、「文化」という花が開いていくのだと思います。